御嶽山は火山としては富士山に次ぐ高さで、日本の山の標高順で14位の山で、702年(大宝2年)6月に、修験道の開祖とされる役行者である役小角(えん の おづの)が開山し、さらに、
日本神話で最高峰に位置する「国之常立神」クニノトコタチの神を祀っているスゴイ山です。
この方が役小角さんで「続日本紀」「日本霊異記」にも出てくる実在の人物で、鬼神を自由自在に操れたそうです。
何しろクニノトコタチの神を祀っている御嶽山を開山したわけですから、それはスゴイパワーの方なんでしょう。
『古事記」では、クニノトコタチの神は「独り神」両性具有のハイブリッドな神様で、イザナギ、イザナミとして男女が別れる前の根源的な神様です。
で、この御嶽山の霊山信仰に「霊神」というのがあります。
霊神
霊神(れいじん)とは、過去の行者を神格化した存在である。
霊神信仰は、時代や地域によって異なるし、講社によっても異なるが、
その内容や特徴としては次の点が挙げられる。・死者の魂は御嶽山に行き、死後も御嶽山で修行している。
・単なる祖霊、死霊ではなく、畏怖すべき神々の一員である。
・御座で降りてきて託宣を下し、信者と対話できる。
・講社や信者を守る存在である。
・霊神碑を建てて、定期的に参詣する。
・葬送儀礼や祖先祭祀(仏壇や墓参)からは独立している。
木曽御嶽信仰より
御嶽山の参道には、「御嶽大神」を守るかのように不動明王と役行者像が両脇を固めてます。
つまり、死後も御嶽山で修行している行者を神格化した信仰なわけですが、御嶽山を開山した行者トップの役小角(えん の おづの)さんて、この山と同じくちょっと不遇な人だったようです。
台風18号の中、出雲大社の禰宜(ねぎ)の千家国麿さんと天皇の直系の「女王」である典子様がめでたくご成婚しましたが・・
はるか昔、天武天皇の頃に活躍した役小角さんは、葛城山(金剛山)で山岳修行を行い、20歳代で、中臣鎌足の病気を治癒し、五色の雲に乗って空を飛び、海の上を走り、鬼神たちを自在に操り支配したといわれる人物で、話し半分以下にしてもスゴイ霊能力をもったスーパースター仙人だったようです。
こういった本でよく出てきます・・
だのに、天武天皇の死後、699年(文武3年)に伊豆島に流罪されちゃうのですが、その理由は、彼を妬み恐れた「古い日本の呪術系神道一派」が巫女さんに「そうせよ〜」と言わせたそうで、民衆に慕われ影響力あるスーパースターゆえ政府から危険視されたようです。
また、藤原氏の出自である賀茂一族の身代わりになった面もあり、役小角は賀茂氏と同族で、賀茂氏の娘宮子が文武天皇夫人となり、宮子の父親の賀茂氏は藤原朝臣姓となり藤原不比等になったわけですが、
その藤原不比等が、賀茂一族の派手な行動を戒める代表として罰せられたのが役小角で、つまり、庶民に大人気のスーパースターが政治絡みのインボーで僻地に追いやられた流れです。
賀茂氏とはこういう人達です。
八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族 Wikipediaより
この、なかなか策者っぽい賀茂氏=藤原氏の門下生が安倍清明で、賀茂と安倍は陰陽道の二大派閥です。まあ、自民と民社みたいな関係みたいですが・・
話がそれましたが、とにかく役小角さんは伊豆流しになってしまうのですが、その途端、皇室の面々が次々倒れました。あわてた当時の朝廷は10月13日に天下の有罪の人々を赦免した記録が残ってます。
しかし、朝廷はこの原因は役小角に起因するとは考えなかったようで、斉明天皇の越智陵と天智天皇の山科陵の修造を命じてます。「お墓のせい」と考えたのです。
朝廷では役小角の恨みが原因とは考えていません。持統天皇の周囲には彼女を守る堅固な呪術家たちがそろっていたとも考えられますが、むしろ役小角をよく知る持統太上天皇は彼が恨みをいだくような男などとは考えてもみなかったと思うのです。彼はいい人なのです。むしろ朝廷は「小角の能力が悪いことに使われる」ことのないよう、この純朴な能力者を地方に流すよう配慮したのです。
空を飛び、海上を走り、富士山にも登る神出鬼没な役小角を捕らえるために、朝廷は彼の母親を人質にしたそうで、それでも恨まないなんて本当にいい人です。
御嶽山は1979年以来3回噴火してますが、3回ともその後3〜4年後に大きな地震が起きているとか・・
恨み知らずの「純朴な能力者」であったらしい役小角が開山した御嶽山噴火は、「日本を浄化せよ!」のメッセージかもしれません。
長野の知人が撮った渓流・・見てるだけで浄化されますねぇ!
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