清里高原で「3月に雪」は珍しくなく、
3月7日、朝起きたら「真っ白」で、
戸を開けたらピノちゃんが出てしまいましたが、スグにゲット。
だんだんと、フツーの猫っぽくなってますので気をつけないと!
真冬のような「冷気」ではないので、出ちゃったのでしょうが、
春の雪はあっという間に溶けてしまい、午後にはいつも通りの風景です。
思い返せばコロナが出てきた2020年初め頃、スグに「いつも通り」になると思ってましたが、その頃はまだ、会社勤めしていた旦那さんは「何かやらかそうとしてるから、スグには終わらないよ」と言ってましたネ。
何かやらかそう・・は、ワクチンだったのかな〜 という感じですが、
ロシアがウクライナに侵攻したことでDSの計画が狂ってきてるようでして・・
ロシア軍が侵攻し、爆発のあった地域を照合すると、
「ロシアは核研究施設とバイオ兵器研究所のある都市を中心に攻撃している」
可能性がきわめて高いようで、そういう理由なら「納得」という感じで、
「アメリカ軍の生物兵器施設の破壊と奪取」
が目的だとすれば、理解できます。
そして仮に、東欧にあるアメリカの生物兵器施設が目的だとすれば、ご紹介する記事からは、次はジョージア、そして、ブルガリア、ルーマニア、ポーランド、ラトビアなどにも拡大するかもしれません。
大きな施設、研究所で何をやってるのか、周辺住民はわからない次第で、
もしですね・・スグ目の前、八ヶ岳の下に秘密の工場があって破壊しようとするなら、
ほとんど誰も居ないので、ひっそりと実行出来そうですが、
住民の多い地域なら、何らかの理由で「人払い」をする必要がありますネ。
それはともかく、あのエドガー・ケイシーさんもロシアについて「予言」してることを、2015年に記事にしてまして、
ケイシーさんは、ヨーロッパはDSにより解体された住宅のようになるけど、
「ある国の人民」は「再び生まれ変わる」と言い、その「ある国」とはロシアとのことでした!
そして驚いたことに、ロシアは「金本位制に移行する」という情報もあり、
「ロシアの進攻は軍事面というより現行の金融支配に対する挑戦の段階に至った」
と、マドモアゼル愛さんは冷静に語っています。
金融面での革命を起こすからこそ、危険分子(生物兵器)を取り払う必要があったのかもしれませんが、
ロシアという国に興味を持ったのは「アナスタシア」を知ったからで、
実在の人物であるアナスタシアに感激し、Y姉さんを誘ってロシア料理を食べに行ったりしましたが、
今回の件でロシア料理店が「嫌がらせ」を受けたそうで・・
毎日新聞
おいおい、そんなことするか? で、こういった報道自体が「ロシアは悪」の情報工作なのかもしれませんが、
アナスタシアの言う「形象学」とは、黒にも白にもなる心理トリック「魔術」で、
先祖代々、この心理トリック「魔術」に長けた家系がDSの親分で、
我々は現在、毎年ワクチンを受けるように人々を調教しているわけだが、そういうこと以上にもっと重要なことが起こっていることに、あなたは気付かないのだろうか?
中央集権的統制と共産主義について、私の友人のジャック(アタリ)が言っていることが正しいとすれば、「平等」こそ我々のアジェンダと新世界秩序の最も中心的かつ根本的な概念となる。我々が「全員がワクチンを受けなければならない」と言うとき、我々がそれを本気で言っている。そのことはあなたにも分かるだろう。しかしあなたが分かっていないことは、「平等」こそがこの運動全体の本質ということだ。
ヘンリーよ、「全員(everyone)」という言葉が鍵なのだよ。これは魔法の言葉だ。全員が同じことをしなければならない。我々が育成したすべての共産主義国家では、この新秩序において計画された「平準化」のための「平等」のため、人々が同じニーズと欲求を持たねばならない。そして全員が同じ命令に従うよう、調教されねばならない。
そんな心理トリックを看破して、脱出に成功したのがイエス・キリストで、
しかしながらDSは、「キリスト教」をも支配のための道具にしてしまいましたが、
20世紀に入り「無意識の発見」が起きたのは、
想像以上にすごい出来事であり、
コロンビア大学医療センターの心理学者で、まるで夫婦喧嘩のようにいがみ合っていた男女の共働で生まれたのが「奇跡講座」です。
ところが1965年、競争や批判をやめて、もっと愛情深く、お互いを受け入れるべきだ・・という別の道を歩みことにこの二人は合意し、その瞬間がきっかけとなって、ヘレンは次々と予期せぬ体験をし始め、ビルの協力の元「奇跡講座」が生まれるのです。
同じく心理学者のケネス・ワプニック氏は、「奇跡講座」の筆記が完了した1972年に、心理学を勉強したことのある神父の紹介でヘレンとビルに出会い、
21世紀を前に、J(イエス)が伝えたかった真のメッセージが世に出ることになりました。
覚醒した精神科医、ホーキンズ博士も、初期の頃の学習者だったようです。
もともとは神父になりたかった心理学者、ケネス・ワプニック氏の「奇跡講座入門」はわかりやすく、
スピ系にはユングが人気ですが、認知系など現代心理学の基盤はフロイトにあり、
フロイトは、自我を持った特殊な「生物」としての人間を見抜いた方で、
「自我の防衛」システムは、敵が出来るとホッとするように出来ています。
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<敵をもつ必要>
自我が罪悪感から身を守るための主な防衛方法の一つは、他人を攻撃することです。そして、私たちの怒りが常に行っているのが、まさにそれであると言えます。つまり、自分が罪悪感を他人に投影することを、怒りが正当化しています。ここで認識することが極めて重要なのは、この世界(そして、世界の一部である私たち全員)が抱いている、「自分が怒っているという事実をどうしても正当化しなければならない」という思いがどれほど強いものであるのかということ、そして、その理由は、私たちは皆、敵をもつ必要があるからだ、ということです。この世界に生きる人で、何らかのレベルで、善悪という性質を世界に付与していない人はいません。そして私たちは世界を分割して、ある人々を「善」の範疇に入れ、別の人々を「悪」の範疇に分類します。
その目的は、私たちが自分の罪を投影できる相手をもたなければならないという、途方もなく大きな必要を満たすことです。私たちは少なくとも一人、または一つの概念、または一つのグループを「悪」としてしまうこと、つまり。スケープゴートにしてしまうことを必要としています。これが、すべての偏見と差別の根源です。それは通常は無意識のものですが、私たちがもっている巨大な必要です。自分自身の罪悪感の重荷から逃れられるように、スケープゴートにできる誰かを見つけなければならないという必要です。これが、有史時代の初めからずっと続いてきたことです。主要な思考体系のどれについても同じことが言えますし、この世界に存在してきたことのある生存形態のどれについても言えます。それは常に、善人と悪人がいるという前提の上に立ってます。
またこれは、明らかに、キリスト教の歴史の中にも見られます。その始まりから、善を悪から分離するプロセスがありました。まず、イエスを信じたユダヤ人と、イエスを信じなかったユダヤ人に分かれ、その後は、イエスを信じた者たちは、さらに、聖ペトロ、聖パウロ、聖ヤコブなどに従った者たちへのグループへとそれぞれ分かれていきました。こうしたことが起こるのも、同じように、自分とは違った人、自分ほど善人ではない誰かとして見ることのできる相手を見つけなければならないという、私たちも無意識の必要に起因するものです。繰り返すますが、このプロセスに対する私たちの執着がどれほど強いものかを認識することは、大きな助けになります。こうした必要があるからこそ、映画の最後の場面で善人が勝ち、悪人が負けるのを見て、誰もが喜ぶのです。私たちは、悪人が処罰されるのを見ることについても、同じ執着を共有しています。なぜなら、その処罰の時点で、私たちは自分の罪から逃れられたと信じるからです。
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戦争が始まるとノイローゼが減る・・とか言われてますが、罪悪感を堂々と「投影」できるからで、「賭け事」や「スポーツ」で闘うのが好きなのも代替行為と言えます。
「差別反対」「戦争反対」といった、もっともな主張の裏にもこの「投影」があることを、わかりやすく描いたのが、
2019年日本公開のフランス映画『再会の夏』で、
まるで忠犬が主人公みたいな宣伝の仕方ですが、その趣旨は全然違ってまして、
第一次世界大戦終了直後、フランス軍の判事は退職前の最後の仕事として、
「国家を侮辱した罪」で拘留されている兵士を取り調べ、
その行為が「国家への反逆罪」にあたるかどうかを探るのですが、
兵士が公式の場で、犬に勲章をくれてやった(=国家を侮辱した罪)ホントの理由は、
自分の留守中に恋人が浮気した・・と誤解したからで、教養豊かなユダヤ人女性の恋人に引け目を感じていたことが、歪んだ攻撃性(嫉妬)となり、「戦争反対」の大胆な行動を取らせたのです。
そして、勲章をくれてやったワンちゃんは、戦地で一緒に戦った盟友で、
あまりに不毛な争いに終止符を打とうと、敵側の兵士達と「和解する」際にも同行したのですが、
敵味方が、お互い人間として寄り添おうとする中、張り詰めた空気を感じたワンちゃんが吠えたのをきっかけに、銃撃戦となってしまいました。
兵士さんは、そんなワンちゃんのことは赦せても、恋人のこと=自分は赦せなかった次第で、スケープゴードとして「国家を侮辱した」のです。
そのことを理解した判事さんは、二人の仲を取り持って、兵士さんを無罪釈放する・・というイイお話でしたが、忠犬なワンちゃんはあまり関係ありませんネ。
さて、ケネス・ワプニック氏に学び、「赦し」の体験談を綴ったのがゲイリー氏のシリーズで、
1992年、ゲイリー氏自身の過去生であり未来生であるアーテンとパーサが現れ、「奇跡講座」を指南するのですが、
映画館で「ハズレ」の映画を選んでしまった際も「赦せる」ようになったゲイリー氏は、こんなカラクリを教えてもらいます。
アーテン:すべてが傑作というわけにはいかないさ。そのあと、きみは自問した。「どうしてもう一つの映画を見なかったんだろう? あっちのほうがずっとよかったはずなのに」
ゲイリー:そうだった。だって、1週間後にそっちの映画を見たけど、良い映画だったよ。
アーテン:映画の質についてはきみが思ったとおりかもしれない。だが、きみの判断はほかの人たちと同じで近視眼的だよ。もし、あの良いほうの映画を前の週に見ていたら、きみは別の時間に入り込んでいた。そして帰り道に大きな自動車事故にあって、重傷を負っていたはずだよ。
ゲイリー:まさか。冗談だよね。
アーテン:こういうことでは冗談は言わないさ。この世界で起こっているかに見えることが真実でないことは知っているが、でもそのなかには冗談ではない出来事もある。
赦しを実践してきたきみの心は、自分には罪がないかもしれないと思い始めている。以前だったら自分を罰するようなときにも自分を罰しないことがある。しかも、それに気づいていない!きみはある映画を見るという決断が自分のためにならなかったと思った。同じことは重要な決断にもささいな決断にもあてはまる。そのための決断がじつはきみの人生を救った、少なくとも助けたかもしれないということは、見えないかもしれないーーだがふつうは赦しの広がりはきみの生を含めたほかの心にも影響を及ぼすんだよ。神のもとではどんなことも可能だーー心のレベルではね。
ゲイリー:信じられないことだね。こんなつまらないことを聞くなんてと思われるかもしれないけど、前から気になっていたんだ。心がそんなに強力なら、なぜ物理的なレベルで奇跡を起こさない?
アーテン:それはなかなか大変なんだよ、ゲイリー。確かに物理的な奇跡は可能だ。心がすべてをつくりあげているんだからね。超自然的な現象が可能なのは「心が集まっている」からなんだよ。
だが直接に原因と取り組み、心に働きかけることができるのに、幻想的な結果でしかないものにかかずらって時間やエネルギーを消耗することはないじゃないか?これは、きみがどれだけ早く目的とする場所に行き着きたいか、って問題なんだ。もたもたして遅くなることはないだろう?それは「善と悪」の闘いに一生を費やしている人たちみたいなもんだよ。彼らが世界に見ているのは、ほんとうは分裂した心のなかで起こっている正しい心(善)と間違った心(悪)との闘いの象徴でしかないののね。航空券代を節約するために赦しなさい。そうすれば千倍も早く天国に着けるよ。赦したあと、聖霊の手引きでこの世界の人々を助ける仕事をすべきだと感じたら、そうすればいい。その仕事をしているあいだも、赦しの実践を続けることはできるからね。
今も昔も、一般市民は戦争なんて御免ですが、「奇跡」が起きるには、集合的な同意が必要なんですね。
そして「再会の夏」で、兵士さんがたまたま誤解するような場面を「見て」してしまったのも、より大きな枠組みからはコレクトだった次第で、
判事さんも関わることで、脱走兵に銃殺刑を下した自分を「赦す」ことができました。
現代は、人と人が直接に肉弾戦で対峙することは少ないけど、その分、活発になってるのが経済戦争で、
仮想貨幣の幻想が崩れつつある激動の時代だからこそ、「世直し」より、まず一人ひとりが「自分」を赦すことが大切ですネ!
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