11月8日は、都心で「夏日」もあった前日より気温が下がり、
信州各地では紅葉が見頃となり、諏訪には「大祝家のイチョウ」というのがあるそうです。
諏訪上社大祝諏方家住宅敷地内の「大祝家のイチョウ」が雌木、同寺が雄木であることから「夫婦」とする伝承がある。黄金色に染まったイチョウの葉が輝きを放ち、参拝者の目を楽しませている。
同寺のイチョウの樹齢は推定約300年、高さは約30メートル。同寺の岩﨑宥全住職(45)によると、今年は例年より遅めの10月下旬ごろから色づき始めた後、一気に進行。風や雨で落葉するものもあるが中心部はまだ青く、「1週間くらい楽しめるのでは」と予想する。落葉後も落ち葉のじゅうたんができ、さらに1週間ほど楽しめるという。
清里から近いので、諏訪大社にはよく行きますが
「大祝家のイチョウ」って、聞いたことないな〜 で、明治以降は「知られざる」になってしまったようです。
大祝(おおほうり)とは、諏訪明神の依り代(よりしろ:神霊が宿る対象物)・現人神(あらひとがみ:生き神様)として、諏訪社(上社・下社)の頂点に位置した神職です。
上社大祝は、古代から明治初めに至るまで世襲され、「諏方(すわ)氏」を名乗りました。中世までは、諏訪の領主として政治権力も握っていましたが、江戸時代に入り、高島城の「藩主諏訪家」と諏訪社の「大祝諏方家」ができ、完全に政教分離がなされました。
明治4年(1871年)の太政官布告により神官の世襲制度が廃止され、中央から任命された宮司が神社のトップとなりました。それに伴い大祝は神事に関わることができなくなり、大祝職も廃止されました。生き神様を祀る信仰が存在し続けた諏訪社は、全国的にも珍しいといわれています。
平成14年に大祝家の当主が亡くなり大祝家は断絶し、このお屋敷も「大祝邸跡」となってしまいました。徐々にではありますが、諏訪でも古代の息吹が無くなっていくことは悲しいことです。
http://www.tree-flower.jp/20/oohourike_icho_2185/oohourike_icho.html
歴史というのは、ちょっと前のことでも「知られざる」になってしまうのですから、
ペルーラムさんの南部町近辺が、古代からの流れで「隠れ南朝だった」というのも、案外「知られざる」歴史なのかもしれませんね〜〜
今日の清里高原は、朝からスッキリとした「秋晴れ」で、
我が家のプチもみじは、
お日様の当たる、上の方から赤くなってます。
今朝の外気温は8度ほどで、ちょっと寒いかな〜 だったのですが、
洗濯物を干すためにガラス戸を開けたら、ベンガル・ピノちゃんが(勝手に)外に出ちゃったので、あわてて捕まえました。
このところ、(妙に暖かいにもかかわらず)家ごもりしていたピノちゃん、「今日は(寒いのに)行きたくなったの?」とリードを付け、
久しぶりに外に出たら、快活モードで、
道路側から、
お隣さんのお庭に侵入しまして(許可を得てます)・・
きっと今日は、
そういう「気分」だったのでしょうね〜
しばらく佇んていたら、今度は家の方に向かいまして・・
ガラス戸を開けたら、とっとと家の中に入って行きました〜
さてさて、日によって「気分」が変わるのは、猫も人間も同じなようで、数日前、実家の母はヒジョーに具合が悪い・・とのことで、
電話口で「苦しいのよ、もう死にそう・・あんた来てくれない?」と散々「泣き」が入り、
ペルーラムさんの出張整体を「お願いしたいわ〜」と頼まれたので、ラムさんに連絡を取り、
その日の晩に「●日に来てくれるよ〜」と連絡したら、不思議なことに、母はその後、急に元気になって、近所のスーパーに買い物に行き、ケロッとしているのです。
そして今日も父から電話があり、「死にかけていたのが生き返ったよ、今朝は洗濯もしている・・」とのことで、
まあ、こういうことは(整体的にも、バッチフラワーの臨床的にも)珍しくはないのですが、身内の極端な反応にあきれてしまいました(笑)。
そういう自分も、ウィークポイントである「歯の痛み」では、(信頼している)歯医者の予約を取った途端に痛くなくなる・・って結構アリましたので、
「病は気から」は、マジに本当ですし、故ペルーの先生は時々、患者さんが来る前にぶっ倒れていて、本人が来た時はもう平気になってましたが、そういう患者さんは身体の問題ではなく、皆さん「心」の問題でしたネ。
よーするに、バッチ博士が言うように、患者は「気分の悪い状態から気分の良い状態なると治る」と共に、
治療者(観察者)と被治療者の関係は、時空を超えて始まってたりするのですが、
晩年のブッダはその仕組みを語り、それを伝えたのが「法華経」だそうです!
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この時、釈尊は、晩年の死を意識し始めた時期でした。このように釈尊にしては珍しく長い前置きを説明した後に、最後に1番重要な経典を話すと言いました。
そこから釈尊が話し出したのが、膨大な量の「量子力学」の内容だったのです。
この話を後世にまとめたのが、あまりにも話の内容が広大無辺、千変万化、有り得ないほど大きな数量の数字の話の内容で、一見読んでも理解不能なために、「何でも有り」という題名にしたいと考えた上で、美しい無数の花びらを意識して付けた名前の「法華経」だったのです。
空海と並ぶ天才と呼ばれた比叡山の最澄さんが、この法華経を読んで理解したことは、遠い未来の日本と世界のことでした。
遠い未来の世界を救う教えは、「法華経」(量子力学)しか無いと確信されたのです。
そして最澄さんの遺言として、後世に託した言葉が、
最澄さんのご請願:
「仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らしますように」
つまり、最澄さんは、未来に弥勒菩薩が現れて、量子力学を行使して世界を救うことを確信されたのです。
未来に現れる弥勒菩薩(如来も混じる)とは、量子力学で「思いを1つ」に寄せ集める人々の全員が、弥勒菩薩なのです。
皆さんが、弥勒菩薩なのです。
自分の良心に従って、「正しいこと」が実現されますように、社会で守られるように、多くの人々が
・ 気にして、
・ 注意をしていて欲しいのです。
この気持ちが集まるほどに、量子力学が世界に働きます。
そして法華経が言うように、自由自在に変化が起こることを、多くの人々と共に目撃してやりましょう。
釈尊の言葉、
・ 周囲に惑わされずに、自分の良心に従いましょう。
・ 健康であるかどうかは、自分の「心」と「行い」が決めている。
・ 心で思うことが実現します。だから、正しい心の持ち主には、幸運がついて来る。
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou
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う〜〜ん、仏教にせよ、キリスト教にせよ、細かく「流派」が分かれちゃってて、正直、違いがよくわからないのですが、
身内の実例的にも、『健康であるかどうかは、自分の「心」と「行い」が決めている』は、ホントだと思いますよ〜〜
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