酵素カフェ

武田氏が制し滅んだ「高遠城」と、起きないと思う「近いうちにこうなるかもしれません」

昼夜の寒暖差が大きい長野県では「蕎麦」が美味しい・・と、

昨年より「清里暮らし」になってから、蕎麦目当てに戸隠に行ったりしてますが、

実例:ご利益満載な戸隠神社には「天の岩戸の秘密」が隠されているらしい!

伊那の高遠にも、美味しい蕎麦屋があるらしい・・ので、昨日のランチは、桜で有名な高遠まで行って来ました〜

長坂から高速に乗り、南諏訪で降り、国道152号「日本百名峠・杖突峠(つえつきとうげ)」を進んだら、素晴らしい見晴らしで・・展望台があったので駐車したのですが、残念ながら冬季閉鎖中でした。

で、展望台の案内には現在地の真横に「守谷山」とあり、

「えっ、諏訪大社の守谷山?」って、テンション上がりましたが、後で調べたら、この峠は「秋葉山本宮秋葉神社」への参詣路でもあったそうです。

<杖突峠>

伊那市高遠町藤澤と茅野市宮川との境に位置する。赤石山脈(南アルプス)の北端にあたり、峠一帯を「晴ヶ峰」という。伊那側は藤沢川が流れる谷に沿った道で、比較的傾斜が緩い。一方、茅野側は糸魚川静岡構造線が通過している関係で断層崖となっており、急坂である。峠から西南西の方角には諏訪大社の神体とされる守屋山がそびえる

むかし、人々がこの急坂を杖を突きながら登ったことが「杖突峠」の名の起こりとされ、頂上で捨てられた杖を燃やして供養するという行事が大正末期まで行われていた。異説として、儀式によって地上に降臨した神が杖を突く場所であったからとも言われている。

古代より東山道が通過し、伊那地域(伊那郡)と諏訪地域(諏訪郡)とを結ぶ主要な道路である。戦国時代には軍事上の要所とされ、天文11年の武田信玄と諏訪頼重との戦いでは、信玄に呼応した高遠頼継が伊那から峠を越えて諏訪へと攻め込んだ。天文年間の古文書に「つへつきたうけ」・「杖ツキ峠」といった記載が見える。軍事面以外にも、秋葉山本宮秋葉神社(遠江国、現・静岡県)への参詣路としての役割もあった。

wikipedia

榛名神社内の「秋葉神社」では、思わぬ健康・御利益がありましたが、杖突峠は、その総本宮に続く道だったのですね!

高波動で健康運に強い「榛名神社」に行ってみました〜

伊那はゼロ磁場で有名ですが、諏訪と深い繋がりがありそうで、諏訪ミステリーファンとしては、ちょっとワクワクしながら、まずは腹ごしらえ。

12月6日の高遠は、冬場のせいか、水曜日のせいか、閉まっている店が多く、

お目当ての「七めん亭」、開いてるかどうか心配でしたが、営業中で、

店内はほぼ満席で、予約を入れて来るお客さんも居ました。

で、注文したのは1700円の「​つけそばセット」と、

1300円の「七めん亭オリジナル高遠そば」で、

「​つけそばセット」は、蕎麦つゆに「ご飯」と蕎麦湯を入れて、最後は雑炊風で食べるので、お腹も大満足で、高遠の蕎麦は太めでコシがあり、とても美味しかったです!

店の方と、お会計をしている方の会話でわかったのは、「七めん亭」は最近、オーナーチェンジしたとのことで、

80歳過ぎの高齢者から引き継いだそうで、

新しいオーナーさんは、近くでビストロもやってます。

そして水曜日は定休なんだけど、なぜか昨日はやっていたようで・・ラッキーでした!

中央アルプスが一望出来る高遠には、30年ほど前に一度、愛犬を連れて花見に来たことがあり、

その頃は入場料とかなかったし、大勢の方々が、桜の下でゴザを広げて宴会していて、1歳のゴールデンリトリバーを制止するのが大変でしたが、

12月の高遠城址公園には、私たち意外、居るのは一人だけで・・

その女性は中央アルプスをバックに、「舞い」をスマホで自撮りしてました〜

人がいない、オフシーズンだからこそ、入場料はタダで、

付近にはやっぱり、諏訪神社がありました〜

諏訪大明神を信奉していた武田氏は、諏訪や高遠を取った後、織田にやられますが、

<高遠城>

高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継が居城としており、甲斐国守護の武田氏と同盟関係にある諏訪氏当主の頼重とは反目していた。頼継は1541年(天文10年)に甲斐守護武田晴信(信玄)に内応して諏訪攻略を援護している。頼重は武田により滅ぼされるが、諏訪の領有を巡り武田と頼継は対立し、1545年(天文14年)4月に武田勢は高遠城と藤沢頼親の福与城攻めを行い、伊那地方への進出拠点とした。・・

信玄後期から勝頼期にかけて武田氏は領国を接する織田・徳川氏と対立するようになり、高遠城は対織田・徳川勢力の重要な軍事拠点となる。武田氏は長篠の戦いにおける敗退を契機に領国の動揺を招き、勝頼は1581年(天正9年) に領国維持のため新府城(山梨県韮崎市中田町中條)への府中移転と同時に、異母弟の仁科盛信(信盛)に高遠城主を兼任させた。・・

高遠城の落城により織田勢は伊那方面からも甲斐へ侵攻し、武田氏は滅亡した。・・

江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏・保科氏・鳥居氏と城主が交代した。1691年(元禄4年)に内藤清枚が3万3千石で入封。以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。

wikipedia

織田が武田勢の気概を削ぐために、諏訪・本宮を焼き払ってまもなく、「本能寺の変」が起きたのは象徴的です。

そんな所縁も知らないで、30年前、ただ「桜が綺麗だな〜」で愛犬と散歩してましたが、

高遠城のスグ前、柿の木に横に、

高遠藩の藩校「進徳館」があり、ちょっと見学したら、

江戸時代を偲ばせる、素敵な空間で、



この頃はやはり、儒教だったのですね〜

個人的には、忠孝や礼儀を重んじる「孔子」の教えってあまり興味なかったので、OSHOさんの「孔子」批判に合点しましたが、

OSHOの『奴隷は友人になりえない』と吉丸房江さんの「つながる」

実例:感情と認知症の関係と「男尊女卑」的だった「老いては子に従え」

その一方で、儒教的なマナーが身についた日本人のメンタリティ的には、「近いうちにこうなるかもしれません」は起きないと思うし、

「細く、長〜く」がお好きな日本人的には、

声を荒げずに、「思考コントロール」から脱皮する人が増えるのでは? と、希望的観測を感じた30年ぶりの「高遠」でした〜

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